先日のエントリでコメントを頂いたので、返事の代わりに新たに記事を書く事にしました。
先日のエントリはこちらblog.technodoor.com
あの記事を書いた一ヶ月後に、福島の原発で本当に「今まで問題なく動いていたシステムが、なぜ突然動かなくなったのか?」という問いかけ以上の出来事が起きてしまいました。
「ねえ。このおうちは地震が来ても倒れないんだよね?」
それはわからないよ、と、夫が言う。え?なんで?だって倒れないように作ってあるんでしょう?と、わたしが聞く。
「計算上はね、倒れないようには作ってあるよ。計算上は要所要所で基準よりずっと太い柱を使ってるし、構造上も強く計算はしてある。でもね」
「自然に対しての計算っていうのは、過去のデータを材料にすることしかできないんだよ。自然はいつも新しい驚異をもってくるんだよ。計算ってのはそれを追いかけていくしかできないから、未来の危険に対しての計算には限界がある」
「だからわからないよ」
この旦那さんは多分、お客さんや上司が相手の時には、こんな事は言わず、相手が安心出来るような「嘘」を言うのではないでしょうか?
でも今回、相手が奥さんなので、自分の気持ちを分かってもらいたくて正直に言ったのではないでしょうか?
僕は目の前にいる誰かに安心してほしいと思っている。僕は言葉を重ね、その結果、その人は自分でその線を引くことを止め、判断を僕に託した。僕はそのことを責めることはできない。それがその人の選択なのだから。
そして、僕はその人に言う。大丈夫、そんなに怯えなくていいよ。大丈夫、これくらいは大したことないよ。
この言葉にはほんの少しだけ嘘が混じっている。1mSvで0.02%。いや、ただ単に嘘と呼んでしまうにはあまりに希薄で、かといって知らないふりができるほど小さくはない何か。僕はこの感情とうまく折り合いをつける方法をまだ見つけられずにいる。
発言に責任を持つ人は、裏付けや論理性を検証するので、発言は遅れがちだし、歯切れも悪くなる(世の中、断言できることは意外に少ない)。無責任な人は適当なことを歯切れよく垂れ流す。一見すると後者の方が頼もしく感じられるのが、人間の弱さ。
— 丹治吉順 a.k.a.朝P, Tanji Yoshinobu (@tanji_y) 2011年3月27日
@lefz いいこと教えてあげるよ。頭のいい人は頭が良すぎてシミュレーションに長けてるから確率低そうなものには実際に動かないのね。でも世の中は動く人間に対して一定の評価をするし、動けるってのは頭の良さは関係なくて、動けることそのものが力になる。
— 津田大介 (@tsuda) 2011年1月28日
「想定外」の事柄が起きるかもしれない事を分かっていながら、世の中から理解してもらうために、「無責任に」物事を断言するという、二律背反的なバランス感覚が必要なのではないかと思いました。
このはっきりしない感情を自分は何とか解決しようと、長いこと考えてきた気がします。
2005/04/04 のエントリblog.technodoor.com
2009/03/03 のエントリ
今回の地震をきっかけに、ネットとみなさんのおかげで、とても多くの事を学べたような気がします。また、自分と同じような事を考えている人もいるんだと思い、少し安心しました。